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28 September
2005

「緑色の恋」<03>・・・月村青衣著

「いつか風の中で出逢えたら」序章

  八月の半ばに恒例の「取手花火大会」が利根川河川敷で行われた。一緒に行く約束をした妹に都合ができて、萌は迷ったあげく一人で家を出た。母親の浴衣の着付けを冷たく断って、普段着のままだ。
 あわただしく九月から転校が決まり、パニックだった萌の頭も数日を経て、やっと、あきらめの境地に達した。今度の転校ばかりは萌の小さな胸に重く響いた。想いを寄せた中沢とやっと親しくなれそうな、そんな気がした矢先だった。「運命的」という素晴らしい言葉を、石丸先生からもらったばかりだというのに。
 大利根橋はすでに人波であふれていた。まだ、空は完全には暮れきっていない。萌は、なんとか橋の欄干に身体を寄せることができた。
 打ち上げが始まった。するすると昇った火の玉が身体の芯まで響く音とともに、夜空に大輪の花をひらく。悲鳴とも叫びともつかない歓声が挙がった。
 隣の家族連れが移動したので顔を向け、何気なく数メートル先に目をやった萌は自分の目を疑った。
 欄干にもたれて夜空を仰いでいる少年の横顔は、まぎれもなく中沢だった。空いた隣はすぐに数人の男女で埋まり、あっという間に萌の視線は中沢に届かなくなった。
自転車を運んでくれた礼を言うチャンスだと気が付き、萌は欄干から離れたが、橋の上は身動きもとれないほどの混雑だった。大人たちの硬い身体に弾かれ、進みたい方へなかなか進めない。中沢のいた場所さえ見当がつかなくなった。
 名前を呼ぶ勇気もない。萌は途方に暮れたが、「最後まで居よう。そうすれば、必ず中沢くんと逢える」と、すぐに思い直した。
九時近くなると、人々が動き始め、萌は中沢を探し始めた。そして、不意に目の前の二重、三重の人の波が動き、萌は欄干に戻ることができた。
 首を伸ばして左右を窺ったが、中沢の姿は見えない。萌の感覚では、すぐそばに居るはずだった。
 萌は欄干を離れた。家路を急ぐ人波はさらに増え、萌もその流れにのりながら、周囲を見回したが、大人たちが邪魔をするように、視線の行く手をはばんだ。
 萌はあきらめて家へ向かった。国道沿いの道を歩いていたとき、何気なく十メートルほど先の歩道橋に目をやった萌は、その上を渡っている中沢を見つけた。
 萌は走り出した。息を切らしながら階段を駆け上がった。中沢の背中に向かって、「中沢くん」と呼んだ。信じられないことが起こった。もう一度、中沢の名を呼んでみた。愕然とした。声が出ていない。中沢の背中は消えていた。萌はその場にうずくまった。
 走って帰った。家のドアをあけると、無意識に、
「おかあさん」
 と呼んでいた。
「どうしたの、そんなにハアハア言って」
「あれ、声が出てる」
「なに言ってるの」
 萌は母親の胸にすがって、泣き出してしまった。
「いったい、どうしたの」
「なんでもない。ああ、よかった」
「なんだか、さっぱりわからない。誰かに追いかけられたの」
追いかけたのは、自分のほうだとは言えなかった。
 自分の部屋に入り、机の前に座った萌の胸はまだふるえていた。これが恋なのか。
 これほどまでに中沢を想っていた自分に驚いていた。萌は恋の正体を知った。声まで奪ってしまう恋の力を。

  二学期の初日、萌はクラスの仲間たちに別れの挨拶をした。
 中沢のクラスを覗くと、相手が先に萌を見つけて出てきた。
「どうした? 身体だいじょうぶか」
 意外にも中沢は男らしい声を出した。クラスメイトへの挨拶では歯を食いしばっていた萌の目から、一気に涙があふれ出た。
「自転車、どうもありがとう」
しゃくり上げながら伝えた。
「どうしたんだ?」
「だいじょうぶ、治ったから」
 萌はその場を去った。
 中沢に別れの言葉さえ告げずに、萌はその日の午後、静岡へ向かった。


  二年後、桂木家は千葉県の柏市に新居を構えた。父親が本社勤務になったのだ。茨城県取手市に住んでいる中沢の家とは県こそ違ったが、常磐線快速で駅が三つ離れているだけだった。
 転校した高校から萌は東京芸術大学に進んだが、必ず逢えると信じていた中沢の姿は上野のキャンパスになかった。
 四年生になった萌は夏休みに、後期から通う取手キャンパスへ家族と一緒に下見に出かけた。
 その日、萌は-。

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Last modified 2005-09-28 10:34 # | | Trackback (0)

「緑色の恋」<02>・・・月村青衣著 

「いつか風の中で出逢えたら」序章

  二日後、見舞いに来てくれた石丸先生を萌は着替えて迎えた。
「良かったな、大したことなくて」
「ご心配かけてすいませんでした」
あの日、先生が自分の車で萌を自宅まで送ってくれたのだ。
「自転車も家にありましたけど」
「そうなんだ。それを言うのをすっかり忘れた。届けてやれって、中沢に頼んだんだ」
「乗ってきてくれたんですね」
 萌は自分の自転車をこいでいる中沢を想像した。
「それより、今日は素晴らしいプレゼントを持ってきたぞ」
先生はシャツの胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「よく撮れてるだろう。見ろよ、その二人の表情」
萌は驚いた。渡された写真のなかで、自分と中沢が見つめ合っている。
「いつ撮ったんですか?」
「こっそりな。おれのいたずら好きは分かってるだろう? なに顔を赤くしてるんだ」 「だって、わたしたちの顔しか写ってないんだもん。これじゃあ、絵を描いてるのが分からないですよう」

「だから、面白いんだよ。傑作だろ? なんだか先生には、おまえと中沢が運命的な二人のように思えてきたよ。『運命的』って、分かるよな?」
 萌はうつむいた。
「中沢にも必ず渡すから、心配するな」
 そう言って、先生は屈託なく笑う。
「おまえは天才かもな」
不意にそんなことも言った。
「天才?」
「ああ、素晴らしい才能を持っている」
「もしかして、絵のことですか?」
「ほかに何がある?」
二人の笑いが弾けた。
「だから、身体をもっと丈夫にしなくちゃ駄目だ。絵を描くのも結構、体力を使うんだ。じゃあ、帰るぞ」
 先生は立ち上がった。
「先生、中沢くんの家の電話番号までは分からないですよね?」
「礼か? 新学期が始まってからでいいさ」 中沢には早く礼を言いたかったが仕方がない。
先生を見送り自分の部屋に戻ると、萌は例の写真を机の上に置いた。二人が恋人同士のように見つめ合っている。自分も恋する女の子の仲間になれたのだ。ある日、突然、不思議な世界の入口に立ったのだと思った。
 初めて絵画クラブの授業に出たとき、萌は中沢を見て胸を震わせた。そんな自分に驚いたが、その答えを石丸先生が出してくれた気がした。萌は「運命的」という言葉を何度もつぶやいた。
 その夜、萌は帰宅する父親を待っていた。両親が揃ったところで、天才と言われたことを自慢するつもりだった。
父親が帰ってきた。居間へ降りると母親が寄ってきて、
「今度は静岡へ転勤だって」
と小声で告げた。
「やだ、もう。嘘でしょ、お父さん!」
大きな声を出したが、父親の返事はなかった。
「あたし、絶対、転校しないからッ」
萌は言い放つと、階段を駆け上がった。
母親が萌の部屋に入ってきた。
「静岡が終わったら、本社へ帰れそうなんだって。そしたら、またこっちへ戻ってきたいって、お父さん言ってるの」
 それ以上、母親は何も言わなかった。いつものように-。
 父親の命令は絶対的だった。


 ・・つづく・・・

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Last modified 2005-09-28 10:29 # | | Trackback (3341)

23 September
2005

「緑色の恋」<01>・・・月村青衣著

「いつか風の中で出逢えたら」序章

 雨が上がって空が嘘のように明るい。風もやんで銀杏の葉はそよともしない。
 桂木萌は頬杖をして、ぼんやり校庭を眺めていた。
 この茨城県の取手市にある中学校には、二年生の九月に移ってきた。それから半年経ったが、萌にはあまり友達がいない。小学校でも三度転校した。友達ができても、どうせすぐに別れが待っている。休み時間になっても、席を離れて級友たちと騒ぐ気になれなかった。小学校のときには、転勤の多い父親を恨んだが、今ではあきらめている。
 そんな萌にも、一つだけ楽しみがある。水曜日の五時限目にあるクラブの日だ。
 幼い頃から萌はクレヨンで遊んでいた。小学校高学年になると、父親が絵の具を買ってくれた。「上手だねえ」と大人たちに褒められ、その気になった。だから、迷わず絵画クラブを選んだのだ。
 クラブの時間が待ち遠しいのは、美術の石丸先生に目をかけられていることもあったが、クラスが違うあの中沢にも会えるからだ。いつから、そんな気持ちになったのだろう。男の子をこれほど意識したのは、初めてだった。
 週に一度しか逢えないことが、逆に逢いたい気持ちをつのらせる。なにより、中沢の黙々と絵に向かう姿が自分と重なる。愛想がなく口が重いのは物足りないけど、その分だけ子供っぽく見えないから、まあまあかな、と萌は思っている。石丸先生に「桂木の作品は繊細で、中沢のは力強さがある」と言われた二人の作品は、今も廊下の掲示板に張りだされている。
 何歳から絵を描き始めたのか、将来はどうするつもりなのか、一度、中沢と話し合ってみたい。そう思い続けながらも、クラブ中に個人的な会話を交わすチャンスは、まだ訪れていない。快活になった自分が中沢と談笑しているシーンを、萌は何度も夢見た。
三年生になった六月のある日、石丸先生が、
「九月の体育祭で使う大会旗のデザインを募集している。絵画クラブからも出したいと思うが、誰か描いてみないか」
 と言った。手を挙げる者はいない。
「じゃあ、誰か推薦してくれ」
「中沢くん」
 萌は蚊の鳴くような声を出した。胸がどきどきした。
 そのとき、誰か一人が拍手をしてくれた。
拍手はまたたく間に広がった。萌は目を閉じた。中沢が断るのではないか、断らないまでも、自分をにらみつけるのではないかと怖れた。
「じゃあ、中沢、頼むな」
 先生が言った。
「……はい」
 中沢が低いが、はっきりした声を返したので、萌は胸をなでおろした。

 一学期が終わろうとしていた。
「桂木、夏休みに中沢と一日デッサン、勉強してみないか」
例の癖で、髪を手で掻き回しながら、石丸先生が言った。
 萌の胸が震えた。自分の気持ちが相手にではなく、先に先生のほうに通じてしまったようだ。
その日、萌は自転車で早めに石丸先生の家に着いた。時間ぎりぎりに現れた中沢は、萌を一瞥すると、気まずそうに目をそらす。「こんにちは」
 と萌が挨拶しても、うなずくだけで、ただ部屋の中を見回している。
「じゃあ、お互いにこの椅子に腰掛けて向き合おう。まず中沢が桂木の顔を描く。五分たったら交代して、今度は桂木が描き手になって、中沢はモデルになる。それを繰り返すわけだ」
「ええ!」 
 萌が声を上げる。
「なにが『ええ!』だ。中沢も、そんな嫌な顔をするな。花か石膏像でも描くと思ったのか?」
それでも、萌はすぐに椅子を引き寄せた。「おまえたちが優秀だと思うから、特別授業をやってやるんだ。早く座れ」
画板を渡された中沢がのろのろと腰をおろす。萌は噴き出した。
 そうして特別授業は始まった。先生は描き手の後ろに立って、誉めたり、注意したり、駄洒落を言ったり忙しい。
 萌はすこし焦ってきた。これでは中沢に話しかけられない。目の前にいるのはいいけれど、目の前すぎる。モデルがしゃべるわけにもいかない。描きながら私語を交わせば、先生に怒られそうだ。お見合いみたいだ、と萌は思う。向かい合った中沢の表情は石のように硬い。
やっと休憩になっても、口を動かすのは先生ばかりだ。冷たい飲み物を飲んでほっとしているのに、チャンスなのに、萌には元気すぎる先生がうらめしい。休憩時間も、萌と中沢は、ひとことも言葉を交わせなかった。
「桂木は芸大に行くんだよな」
 昼に出かけたラーメン屋で先生に聞かれた。
「行きたいって言っただけですよう。中沢くんは?」
 とっさに萌はきいた。
 中沢は首をかしげて、
「まだ中学生だし、分からない」    
ぼそっと言った。
「中学生は今年で終わりだぞ。高校の三年なんか、あっという間に過ぎちゃうさ。せっかく常磐線沿線に住んでるんだから、芸大を狙え」    
 東京芸術大学はJR常磐線の始発駅である上野にある。 それから先生は、母校の武蔵野美大での大学生活を熱っぽく語り出し、また独り舞台にしてしまった。
午後にようやく描き上げて、中沢の後ろから先生の家を出ようとしたときだった。萌は急に胸を押さえて、その場にうずくまった。


・・つづく・・
 

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Last modified 2005-09-23 02:53 # | | Trackback (2443)